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みんなで決めるのではない。内向的まちづくりのすゝめ

みんなで決めたことは誰も責任を取らない

まちづくりでは「みんなで考えてやりましょう」というお話がいまだ根強い。
 
特に行政の人たちが大好きな「まちづくり」はワークショップではじまる。「みんなが一致団結してやればいい」というさわやか八方美人的な方法論であるが、これはゼロベースで方向性を打ち出す会議ではやるべきではない。
 
ワークショップがまちにとって役立つためには、主催者がしっかり問題点や、今後取り組むべきテーマを持って開催し、具体的に地域で実施するための段階に入った時に、事業をけん引する人たちが主体性を持てるように段取りする必要がある。これは、他人に言われて動くよりも、自分たちで決めたほうがやる気になるから、ワークショップを行うのである。
 
けれども、何のアイデアも方法論も持たないままに、単にワークショップをやって「集合知」でどうにか解決策を導くというような話は大抵は変な方向に向かっていく。
みんながわかりやすい、耳触りのよい、てっとり早く、誰も傷つかない取り組みになっていく。世の中がうまく回っている平常時ではこれでもいいのだが、何かを変えなければならないからこその「まちづくり」であるにも関わらず、これをやってしまうと全くもって的外れになる。
これは仕掛ける側の「逃げのワークショップ」であるといえる。
 
実際に仕掛けるまちでの事業はガチンコ勝負となる。
場合によってはまちの既存企業と競合することもあるし、他市と競って流入人口・交流人口を獲得しなければならない。もちろん、出資も必要であるし、時に立ち上げのときには税金まで使うのだからなおさらだ。
 
だから、皆で方法論を検討する時も、意見を言っただけで動きもしない人の話は聞き入れない。言ったからにはやる。リスクを負う。ノーリスクでのただの意見は、事業にとっての一番の害となり、失敗の主原因になる。だって自分が何の責任もとらないのであれば、何でも言いたい放題となってしまう。
 
誤解招くかもしれないが、自ら仕掛ける人間にとっては聞くに値する意見と、聞くに値しない意見というのがある。 もちろん全ての意見は聞くにしても、全てを採用するわけではないということが重要だ。
 

内向的まちづくりのすゝめ

このように立ち上げに至るプロセスの出発地点というのは外向的な集合知集めであってはならない。
 
何かをはじめる時は、「内向的まちづくり」のステップを踏むことが大切である。
それぞれが自分の中で徹底的に、脳みそに汗かいて考え抜く時間。これを持たざるして、単に集まって好き勝手思いついた意見をいうのでは、地域の深刻な課題解決の方法が偶然生まれることもないし、そんな意見を集めた集合知が画期的な方法になることに出くわしたことがない。
やりたいことではなく、やるべきことを言う準備をするために、まずは内向的にしっかり考える。(ってずーっと空想してても意味ないので、もう数日とかでいいんです)。そのうえで、外交的に皆と話したり交渉したりしながら実現していく。
 
まちづくりに経営を、と述べてきたが、経営というのはマネジメントのトップは孤独なものとなる。
孤独に耐えてやり遂げなければならない。だから一定の内向性がないとキツいのだ。マネジメントは内向性とセットである部分があるという意味でも、まちづくりに経営を持ち込む時には、集合知に最初から依存するのではなく、自ら考え抜くことが大切となる。

今からまちづくりに取り組む・取り組んでいるが出口が見えないという方は、一度自分の中で徹底的に考え抜く時間をとってみてはどうだろうか。

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